一生つなわたり

一生つなわたり

交通整理を無視した自動車の暴走を、自由と呼べるはずがない。全体と調和して得られるモノ。

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おはようございます。

絶望の中、とことん自分と向き合い、

弱さにも気づき、ほんきでそこを変えていく覚悟を決めて、

その先に絶望から抜けて、迎えた今日。ほんとうに、ありがたい。

 

どんな一日になるのだろう。

今日の記事は一足早く、書いたものです。

 

さて、100日行29日目。

今日の内容は、

「生命の自由は秩序によって確保される」

 

 

ピンときた内容引用

秩序というものは生命の力の発現である。

生命なきものはみずから秩序整然と並ぶことはあり得ないのである。

 

自由ということを滅多矢鱈に行動して秩序をみだす事だと

考え違いしてはならないのである。

自由というものは全体と調和して得られるのであって、

全体と調和しない個別者のバラバラの乱動は、

全体の滑らかな動きを搔きみだして、交通整理を無視した自動車の暴走と同じく、

自己を破壊し、全体の順潮なる行動の流れを停止してしまうことになるのである。

 

秩序とカオス、生命の誕生について、以前記事を書きました。 

makoto-taira.hatenablog.com

 

自由という言葉の定義は難しい。

しかし、今回の考え方はとてもシンプル。

自由とは、全体と調和して得られる。

秩序という生命の力をみだす事ではない。

 

交通整理を無視した自動車の暴走の例えは、とても分かりやすい。

そんな車を自由と呼べるはずがない。

 

全体と調和するということは、

人間社会でいえば「周りに迷惑をかけない事」

人間関係において、もしくは社会で、家族で、組織での在り方。

迷惑をかけないうえで自由に動くのは、

とても大切だと思う。

ここでいう迷惑というのは、一方的で自我的なものを指すのではないはずだ。

迷惑と、コントロールや支配は違う。

お互いの関係性の中で、お互い納得の上で決まる基準なのだろう。

 

自然界でいえば、

いまの自然破壊を伴う人類の在り方は、

自由とは言えない。

文字通り、

自己を破壊し、全体の順潮なる行動の流れを停止している。

地球という住まいに借りぐらししている以上、

家を破壊すれば自分たちが困るのは当たり前。

 

人類は自分たちの自由を見直さなければならない。

 

そんな時間となるであろう、明日のイベント。

ブログを書きました、よかったらご覧ください。

112255horumonryugi.hatenablog.jp

 

自己を破壊し、全体の順潮なる行動の流れを停止する、とは

迷惑を掛けたら、自分も困るということ。

迷惑をかければかけられる。

嫌えば嫌われる。

好けば好かれる。

人は鏡。超シンプル。

makoto-taira.hatenablog.com

 

 

そのうえで、

ちょっと違う視点を。

 

迷惑をかけあうのって、

人間として、普通のことだと思う。

 

迷惑をかけながら生まれてきて、迷惑をかけながら死ぬ。

 

迷惑をかける、かけられる。

だから助け合える。サポートする。

協力し、共に進むことができる。

人は迷惑をかける生き物だ。

 

自分が動いて誰かが喜ぶことに対して、

「迷惑をかけられた」

と考えるより、

「いつもありがとう、やらせていただきます」

って考えたほうが、たのしい。

 

思考習慣一つで、人生は変化する。

 

今日も、ありがとう。

いつも、ありがとう。

 

 

 まこっちゃん

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