「祈られている側」を想像してみる。お願いの祈りから、感謝と祝福の祈りに。
こんにちは。
いろいろな、大きな流れが来ていると感じる日々です。
現代魔法学における、魔法攻撃力と、魔法防御力、改めて大事だなあ。
これについては、そのうち書きたいと思っています。
さて、100日行26日目です。
今日の内容は、
「周囲の人々を祝福せよ」
ピンときた内容引用
祝福の祈りは、他を祝福する想念が
自己に還り来って自己を祝福することになるのである。
更に高き祈りは
「……真の幸福者とならしめ給え」という請願の祈りでなくして、
「既に此処に集れるすべての人々が神の祝福を受けて幸福なる健康なる裕かなる生活者であります。有りがとうございます」
という感謝と祝福の祈りである。
善意は善意をもたらし、愛念は愛念をもたらす。
与えたものが返ってくるのは、間違いないと思っています。
愛すれば愛され、
嫌えば嫌われ、
感謝すれば感謝され、
傷つければ傷つく。
返ってくるのだとすれば、
気を付けなければならないのは、普段の言葉。
不平や不満、愚痴悪口文句を言ったところで、意味がない。
目の前の現実が、「そういう現実」になるだけ。
もちろん、言いたいことは言えばいい。
大事なのは、
それが返ってくる前提でも、言いたいの?ってこと。
これは、
誰かに伝えるかどうかというのもそうだけど、
実は自分自身が一番きいている。
だから、自分自身が一番その影響を受ける。
言霊の力をなめちゃいけないな、って思います。
お願いの祈りから、感謝と祝福の祈りに。
だって、実はすべて与えられているのが、この世界、かもしれない。
僕はそう思っています。
確かに、「祈られている側」に、自分がなったと想像してみると、
「なに依存してるんだ、自分の力でやれ。」
って、思ったりもするかも。
なによりも大事なのは、
お願いの祈りで終わらない事。
まずは自力で全力を尽くす、
他力に頼るのは、その先。
自力で全力でやってたら、
自然に感謝と祝福に、なるのかもしれない。
お祈りも、自分がその気になり、
鼓舞するためにはどんどん使ったらいいね。
善意は善意をもたらし、愛念は愛念をもたらす。
たった今、
先日ご縁をいただいた友人から、メッセージをもらいました。
うれしい。
こうして
「ブログを書く」という
自分のためでもある行動によって、
誰かの喜びになる。
そう思えること、
ありがたいです。
今日も、ありがとう。
いつも、ありがとう。
まこっちゃん