”五官の世界”に眼を瞑じて、調和ある世界に自分の心が転入する
おはようございます。今日の肚国会も面白かった。
”存在から有責”によって生の意味をはじめ、
今までのあらゆる概念からの離脱が起きそうです。
さて、100日行22日目。
今日の内容は、
「神に振向いて神の智慧を受ける」
ピンときた内容引用
私たちが”五官の世界”に眼を瞑じて実相世界の神の愛と智慧と生命と供給とに充ち満ちている調和ある世界に自分の心が転入するとき、
一切の憂えも心配も消えてしまい、心が安まり、
全ての事物が調和ある姿で展開するようになるのである。
されば、神想観を毎日怠らず実修することによって、
現象世界の喧騒から一層速やかに静謐なる実相世界に心を転入することができるようになるのである。
自分の”我”の力で一生懸命こころみている間は、それも一つの勉強であるから、
神は私たちの自由にまかせていられるのであって、
吾々は試行錯誤の遠まわりの道を辿るより仕方がないのである。
五官の世界ってなんだろう?
ご‐かん【五感】
視・聴・嗅(きゅう)・味・触の五つの感覚。これらの感覚によって外界の状態を認識する。「―を研ぎすませる」
ご‐かん〔‐クワン〕【五官】
人間が外界の事物を感じる五つの感覚器官。目・耳・鼻・舌・皮膚。
調べてみた。なるほど。
ここに眼を瞑じて、、、
つまり、五感の外の世界を感じる、ということかな。
視覚、嗅覚、触覚、味覚、嗅覚の5つのセンサー。
この外を認識する能力、”念覚”というものがあるらしい、
と知ったのは、多分3ヶ月前くらい。
その能力鍛えたいなと思って鍛えている。
いわゆる”超能力”的な人たちって、
単に”念覚”が発達している人なんだろう、と思う。
念覚の中には、”直感”や”身体感覚”も含まれるのだろう。
ここで特に大事になってくるのが、
体の部位でいうと、脳の松果体、腸内環境(腸内細菌さんたち)、足の裏、耳、目。
概念でいうと、潜在意識と顕在意識、夢、生活・思考習慣。
自然とあまりにも乖離してしまった現在、
例えば松果体ひとつでも、
どんどん小さくなり、石灰化している。
いろんな能力が退化しているのも当たり前だ。
だからこそ、あらえびすの手汲み伏流水をはじめ、
自然の恩恵をそのまま取り入れることで、
生きる力と直結する感覚が磨かれる。麻痺していたそれが、戻る。
命が命のままに躍動する。
僕の場合、伏流水を飲み始めて約半年後に、一気に感覚的な何かがわかるようになった。
それは、頭で考えてもわからないもの。
僕は以前はずっと頭ばっかりで生きていた。
お水も、身体感覚も、あまりわからなかった。
頭で考えると、余計にわからなくなる。
わからない中で、わからないなりにやってみることを続けると、
色々わかってくる。それが面白い。
直感的に来てくれるものたちを、ある程度は受け取れる自分になったことで(まだまだ頭はうるさいけど、こいつもうまく使ってゆくしかないと、開き直っている)
どんどん世界は広がり続け、毎日を面白がれている自分がいる。
今日も、自分に来たことを遂行する。
余計な思考を挟まない。
今から、抜根作業の手伝いに、行ってきます!
不安とか、遠まわりも、僕はちょうどいいと思ってる。
以前書いた記事。
その上で、今のアプローチ、毎日欠かさず続けていこう。
今日もありがとう。
いつもありがとう。
まこっちゃん