やっちゃったときにどう考える?ってことと、病気の繋がり「不調の必要性を無くす」
おはようございます。
東北エルダーワークの担当者になりました!
僕自身が、超楽しみです。前回の東北も面白く、最高の学び&遊びの時間だった。
ありがたいことに、いろんな役割がたくさんきてくれています。
全部やりきる!!!
さて、100日行23日目。
今日の内容は、
「健康は”神の生命”の顕現」
ピンときた内容引用
健康は自己の内に宿る”神の生命”の顕現である。
健康は物質になく、肉体にない。
如何に物質の薬を塗っても、傷は内からの”生命”の癒す力が発言しなかったならば、その傷が癒されることはないのである。
神の心に波長の合わぬような想念感情をその患者が起こすならば、生命内部の癒やす力はそれだけ減少することになるのである。
時々”自分の生命”が不健康になったようにみえるのは、本当は”自分の生命”が不健康になったのではなく、本来の”神の生命”の波長に合わないような想念感情が、雲のように起って本来の健全な相(すがた)を覆い隠したに過ぎないのである。
このブログはできるだけ、早朝に書いています。
昨日は、あともう少しで完成、というところまで書きかけていたこの記事を、
いつもなら書いてから寝るとこを、忘れて寝てしまいました。
やっちまった!と思い、
あーあ、俺はダメな奴だ、などと、
もう変えられない過去を悔やんで自分を責める。
みたいなことをやりがちだけど、
いつまでもそこにいても仕方ない。
こういう「起きてほしくない事」が
現象として起きてくれる理由は、
メッセージだと思っています。
「もっと自分と向き合えよ」
とか、
「そんな在り方でいいのか?疑えよ!」
とか、
「それ、間違ってるぞ!」
とか。
それを受け取りいかせた時から、
「起きてほしくなかったこと」でなくなる。
僕は、病気も、こういうメッセージの一つとして、
起こるべくして起きてくれているのだと思っています。
起きた現象からうけとるべき「学び」や「気付き」を受け取れば、
それが起きる必要性がなくなり、病気もよくなる。
自分と向き合わず、対処的なアプローチによってでは、
一時的に症状がやわらいでも、本質的な解決はできない。
例えば「熱」がでるのも、
体の中で病原菌と免疫細胞ががんばってることで起きてるんだよね。
その熱を無理やり下げても、戦いにくくなるだけなんじゃないかな。
だから大事なのは、表面的な熱を下げることよりも、
その時間から学び成長すること。
一概には言えないし、「例え」になってないかもしれないけれど、
こんな感じだと思う。
「病は気から」
っていいますよね。
【意味】 病は気からとは、病気は気の持ちようによって、良くも悪くもなるということ。
【注釈】 心配事や不愉快なことがあったりすると、病気になりやすかったり、病が重くなったりするものである。
気持ちを明るく持ち、無益な心配はしないほうが、病気にかかりにくかったり、病気が治りやすかったりするということから。
「病は気より」ともいう。
こんな記事もあった。
あとは、プラシーボ効果(偽薬効果)も面白い。
人間の思い込みってすごい。
だからこそ、
今日の内容でいう想念感情が重要になる。
人と人が一緒にいる理由も、
如何にその気にさせ合うか。
如何に理想をイメージし、
そこに向かえる自分を思い込むか。
ホモサピエンスが想像力を持ちながら、
地球に生を受けた理由のひとつも、これなのかもしれないとさえ思う。
今日も、ありがとう。
いつも、ありがとう。
まこっちゃん