一生つなわたり

一生つなわたり

溢れたものを表現する。厄介な頭と上手に付き合い、まずやってみればいい。

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約1週間前の様子。ブル&チビウルフたち。なんだか関係性が成り立っている…w#あらえびす #araebiau #animal #いぬ #いぬのきもち #dogs #wolf #wolfbaby #wolfdog #ハイブリッドウルフ #ハイブリッドウルフドッグ #おおかみ #大神 #狼 #オオカミ #bulldog #ブルドッグ

 

おはようございます。お久しぶりです!

今、なんだか、書きたいことがあふれています。

溢れたもの、表現してゆこうと思います。

改めて、よろしくお願いいたします。

 

最近はとても忙しくて、

インプットも、アウトプットも、時間が取れていませんでした。

しかしここ数日、とてもゆとりがあって、のんびり豊かな時間を感じています。

 

何が変わったのでしょうか?

もちろん、今捉えられない様々な変化はあるはずですが、、、

そのなかでも、いえることは、

状況や、他者かかわったのではありません。

自分が変わったのです。

 

「忙しさ」も「問題」も「悩みや不安」も

わざわざ自分で作ってしまっているんだなあ、と、

つくづく、思います。

 

とはいえ、それ自体がわるいわけでは、ないのだと思います。

不安は、不安だもん。

不安のおかげで安心があるし、

不幸がなかったら幸せもないもんね。

 

大事なのは、

「自分で作ってしまっている」
=いつでも、変化できる。

という視点を持つことだと思います。

 

いまから思えば、

ここ数日の変化を感じられている理由は、

「素直にやってみた」から。

 

その直接のきっかけは、

5月14日の「肚国会」でした。

 

肚国会とは、僕のお仕事であり、遊び場でもある

「あらえびす」の仲間たちによる、

毎朝のオンライン公開ミーティングです。

 

さまざまなことをみんなで学んだり、向き合ったり、遊んだりします。

この日は、みんなが僕の問題、その先の変化に、向き合ってくれました。

 

問題なんて、すぐには解決しないし、正解なんて、わからない。

だけど、自分的にすごくよかったな、と思うことがあるので、

今日はそれを表現してみています。

 

なんでも、やってみればいいんだよね。

やってみなければわからないし、

やってみて、「失敗したな」と思ったとしても

それを活かすことを、未来の自分に任せればいい。

 

まずは飛び込んじゃえば、

その先に思い込みが外れて、自由になったり、

確かな価値を感じたり、みんなが喜んでくれたり、

いろんなことが起きる。

 

それがとても、面白くて、嬉しいんです。

 

誰かが、何かを伝えてくれた場合。

僕たちはそれによって、いかようにも、

苦しむこともできるし、

遊ぶこともできる。

 

これは、「誰かが何かを伝えてくれた」というシチュエーションに限らない。

 

自分の認識によって形成されるこの世界の全て=現実は、

いかようにも遊べて、いかようにも苦しめる。

 

自分次第ともいえるし、

それを「自由」と表現するのかもしれない。

 

 

誰かが何かを伝えてくれる時に、

相手がどういう状態でいるか、というのは、

重要だけれど、どうにでもなる。

 

例えば、その奥に愛があるのか、憎しみや嫉妬、があるのか。

もし、相手が「傷つけようと」していたり、
ストレスのはけ口として、感情をぶつけていたとしても、

それをどう受け取るかは、自分で選べる。

(この能力を、現代魔法学では魔法防御力といいます、笑)

 

そして、

その奥に何があるかなんて、
確かめることもできないし、言い切れない。

全ては「愛」なのかもしれないし、そう思うことは自由。

 

自分と相手との関係性の中で、

「それをそのように受け取った自分」がいるだけ。

お互いの歩み寄りが重要ですよね。

その相手との間のラインに対して

超えすぎてもダメ、近づかなすぎてもダメ。

そのバランスを取ろうとし続ける。

 

相手の発した言葉の「奥」を受け取ろうとすることは重要で、

受け取った結果どうするかは、どうにでもなる(自分で選べる)


「責められている」「否定されている」などと、わざわざ解釈して

身体を固めて苦しくなる必要は、ないですよね。

 

素直に受け取る部分を捉えて、生かせばいいだけ。

 

それは、相手の意識に左右されない。

その現象が起きた時点で、自分次第で受け取り生かせる何かは、必ずある。

※これは相手が人だけの話ではない。
全ての現象を遊べる面白さが、この世界にはあるんだと思う。

 

変えられない部分(過去の現象や相手目線の自分)をそのままに

変えられる部分(過去の解釈、未来の選択、自分目線)をただ、変えてゆけばいい。

 

その時厄介なのは、「頭」です。

頭は、反射的に正当化し、相手を悪者にしてしまう。

自分で幻想の敵を作り、自分でダメージ受けたりする。

それで、悲劇のヒロインめいた演技を、展開してしまったりする。

 

そんな自分から、少し離れてみてみたら、どう感じるでしょうか。

きっと、笑っちゃうと思う。

 

「正当」も「良い悪い」も、頭の世界に存在するけれど、

頭は二つを比べることはできるけど、

無数に存在する「視点」を、複数同時に持つことはできない。

(だから、いろんな視点を持つことって大事なんだと思う)

 

果てしない「全体」に対する制限は、どうしても存在してしまう。

 

もちろんそれが悪いとかではなく、

そういうものが、「頭」ってこと。

 

頭だけ、言葉だけ、なら

頭の外に確かにある「感覚の世界」を、表現できないもんね。

 

今回もぼくの中から、厄介な頭がでてきました。

今まではそれに悩んだり、問題を作り出したりしていた。

 

だけど、言葉の奥を受け取ろうとしながら、

同時に、それを固定せずに、やわらかい感じで、

まずやってみることにした。

 

すると、豊かな時間を、
確かに、感じることができたのです。

 

今までは、全体が動きやすいように、と

良かれと思って、一生懸命、動き回っていた。

いろんなことを同時にやろうとしていた。

その結果確かに、早く進んだりとか、いろんな価値もあったとは思う。

 

だけど同時に、問題を作りだし、それに囚われていた。

正解を固定し、それをみんなに押し付けていた。

 

自分を過大評価し、やれると思っていた。

だけど、ほんとは不器用で、抱えきれなくなっていた。

 

人それぞれの感覚や、それぞれの動きを、邪魔していたんだよね。

 

それを手放した。

 

すると、余裕が生まれた。

 

全体が「いい感じ」になって、

隙間がうまれた。

 

その隙間のおかげで、今ぼくは、これを書いている。

 

やってみたことで、「伝えてくれようとしていたこと」を

自分自身の確かな感覚と共に、少しは受け取れたと思う。

 

その時受け取れないものはしょうがない。

それを「問題」や「ストレス」に変えたところで、

あんまり意味無いよね。

時間をかけること、答えをその時決めるだけでなく、

それを持ち続けることって、とっても大切。

いつか必ず、受け取れる時が来るから。

潜在意識に、お任せしちゃって、いいんだね。

 

悩む暇があったら、「相手目線の真実」を
ただ、受け入れて、やってみればいいんだね。

 

自分を正当化して、言い返した瞬間から

本当に進みたい場所と、逆に向かってしまっている。

 

そういうことは、やめればいいだけ。シンプルですね。

 

そんなことを感じる、今日この頃です。

 

これは僕が経験したことだから、

あなたにとっての「正解」ではない。

だけど、「ヒント」には、なるんだと思います。

 

長くなりましたが、読んでくれてありがとうございます。

 

今日も、ありがとう。

いつも、ありがとう。

 

まこっちゃん

 

 

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