自分の内にある利己的主張や、誤解や、悪感情が 相手に映って敵としてあらわれる。
おはようございます。
今日、2017年12月13日の肚国会、最高!おすすめです。
さて、100日行19日目です。
今日の内容は
「汝の敵は汝の内にあり」
ピンときた内容引用
神は自己の内に、仏はまことに自己に近くましますことをあらわすのである。
自己の内にある神仏を自覚し、それを生活に実践するとき、その人の人生は天国となり、浄土となるのである。
憎しみ合い、怒りを内に持ち、利己的主張で他を害しようとする時、その人の天国は自殺するのである。
敵は外にあるのではなく、自己の内にある利己的主張や、誤解や、悪感情が相手に映って敵としてあらわれるのである。
敵は外にはいない。
自分の内にある利己的主張や、誤解や、悪感情が
相手に映って敵としてあらわれる。
昨日の内容も繋がる。
「その人の天国は自殺する」という表現、めっちゃいい。
あくまでも自殺。自分が招いたこと、自己責任、有責をとる。
以前、聞いた話。
自分の人生で出逢う人は、
例外なく学びをくれる人。
そのうち、
半分は自分の味方としてあらわれる。
半分は自分の敵としてあらわれる。
自分が「敵」と思ってしまうような人も、
学びをくれる人というだけ。
学びをくれるという視点から見たときに、
敵にとらわれることはなくなり
自分の学びに集中できる。
どんな利己的主張に気づき、誤解がとけて、悪感情と
向き合わせてもらえるのだろうか。
小さな段階で気づけたら、大きなことが起きることで
その人を気付かせる必要がなくなる。
利己的主張についていえば、
そもそも自分へのこだわりによって、
それが生まれるという一面もあるのではないだろうか。
利己的とは:自分の利益だけを追求しようとするさま。
もし、「自分だけがいい」と思っているとしたら、
それはすごく浅いところの話のはず。
自分だけの先には、むなしさみたいなものしかないんじゃないかな。
この世界はそういう風にできているから。
自分だけの外における喜びを知れば、自然に利己的でなくなる。
とはいえ、頭に騙されて、
利己的になっていない、と思いながら
利己的になってしまっている状況もあるとは思う。
自分へのこだわりって、いるのかな?
根拠のない自信や、自己肯定は必要だと思う。
と同時に、
自分自身になんて、誰も興味ねえよ、という視点も重要だと思う。
ある意味自意識過剰だから、
コミュニケーションや発言が怖かったり、
周りの目を気にしたりするんだよね。
「周りの目を気にする」という思考に、
とらわれている人は結構多いと思うけれど
人って存在はたぶん、
そんなに見てないし、覚えてないから!
みたいな。
だから、こわがらなくていい。
嘘の自分を生きる必要もない。
ありのままの自分を素直に表現していい。
そうなれば自分が癒され、
ナニカに依存する必要もなくなり、
他者も癒せる自分になる。
自分への表面的なこだわりもなくなる。
わたしはあなた、あなたはわたしになる。
存在から、有責に昇華する。
今日ハッキリした。
有責は、この宇宙攻略のキーカード。
これについてはまた書きます。
今日も、ありがとう。
いつも、ありがとう。
まこっちゃん