一生つなわたり

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人はいつ死ぬと思う?ずっと生き続ける方法とは

こんにちは。更新時間ばらばらでごめんなさい。

結局何時がいいのか、ということで、これからお昼の12時にしようかな~と思ったりしています。あなたは何時がいいですか?

 

一昨日の熊本地震では、たくさんの方が被害に遭われたことと思います。今も様々な問題やストレスで大変な方もいらっしゃると思います。

この場で、お見舞い申し上げます。

 

地震や災害などは、死を身近に感じるきっかけになると思います。

一昨日は、電話していた友人が、揺れがやばい、ということで避難しました。

しばらく連絡が取れず心配だったのですが、その友人は無事でした。

僕にとって今回の地震が、とても身近なものになった出来事です。

目次

 

明日死ぬかもしれない 

死というものはまだまだ先の方にあるもの、と考えがちです。

でも、明日死ぬ可能性はあります。

明日死ぬかもしれないと、考えながら今日を生き、選択することは、後悔しない生き方につながると思います。

 

しかし、それが難しいですよね。

大事な選択を迫られたときに、~~年後に死ぬとしたら、と考えるのは、一つの判断基準になるかもしれません。

僕の場合は、就職先の選択に迫られたときに、

3年後に死ぬとして、後悔しない方はどっち?

という考え方を参考にしました。

 

「若い=残り人生の時間が多い」なのか?

「若いのにえらいね、私も若かったら・・・」

いろいろなセミナーや講座に参加していると、こういわれることがあります。

そんなときに、僕は思うことがあります。

 

例えば23歳の僕と、40歳のある人を比べた場合、

僕の方が長く生きる保証はありません。

若い=残りの人生で使える時間の量が多い

ということではないです。

 

あくまでも、平均寿命まで生きると仮定すれば、イコールで正しいというだけで、

自分が平均寿命まで生きれる保証はありません。そういう人が多い、というだけです。

 

今日が人生で一番若い日

こう考えると、歳を理由にチャレンジしないのはナンセンスです。

つまり、何歳からでもチャレンジすればいいということになります。

今日は、誰にとっても、その人の残りの人生のなかで、一番若い日です。

これに例外はありません。

 

そして、何歳になってもわくわくし続けて、いろいろなことにチャレンジし続けて、

学び続け、その学びをいかし続ける。

そんなおじいちゃんになりたいな、と僕は思います。

 

人はいつ死ぬと思う?

今までの話は、肉体的な死についての話だと思います。

では、そもそも死ってなに?

ひとはどうなったら、「死」という状態になるの?

という話になります。

誰でも、「死」について考えた経験があるのではないでしょうか。

僕の周りには、なぜか小学校5年生くらいの時に、死について考えた経験がある人が多かったです。

 

あなたは、どう思いますか?

 

人が死ぬのは、

災害に巻き込まれたときでしょうか。

事故にあったときでしょうか。

なおらない病気になったときでしょうか。

 

僕なりの、「人はいつ死ぬか」という問題の答えは、

ONE PIECEという漫画が教えてくれました。

尾田栄一郎先生、ありがとうございます。

 

以下、ONE PIECEのあるシーンを引用します。

やめておけ お前らにゃおれは殺せねェよ 

人は、いつ死ぬと思う・・?


心臓を銃で撃ち抜かれた時

・・・違う

 

不治の病に侵された時

・・・違う

 

猛毒のキノコのスープを飲んだ時

・・・違う!!

 

・・・人に、忘れられた時さ・・・!!

 

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心の中で生き続けるということ

人が死ぬのは、「忘れられた時だ」と尾田先生は言います。

とっても素敵な考え方だと、僕は思います。

 

僕は、死んだ後も、人にいい影響を与え続けたい、と思っていました。

この気持ちは、ワンピースのこの話からきたのだと、最近気付きました。

 

例えあなたの大切な人が亡くなったとしても、

その人はあなたの心の中で生きているという考え方もできます。

あなたがその人を想って、優しい気持ちになれたり、ありがとう、という気持ちになったり、その人から学ぶことができたら、

それでいいんじゃないかな、と思います。

 

僕の場合 

例えば僕の場合、100年近く前に亡くなった方から、今もいい影響をもらっています。

金子みすゞさんの、この詩は、僕の大切な価値観を作る、1つの理由になりました。

 

ありがとうございます。おかげさまで、僕は幸せです。

こんな自分になれるように、未来に良い影響を与え続ける自分になれるように、僕もがんばります。

こうなることができたら、ある意味の永遠の命を得たと、いえるのではないでしょうか。

 

私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。

私が体をゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

 

みんな違ってみんないい。

もし良ければ過去記事をご覧ください。

makoto-taira.hatenablog.com

 

僕なりの、もう1つの答え

最後に、僕なりの、

「人はいつ死ぬか?」という問題の

もう1つの答えを紹介します。

人はいつ死ぬか?

それは、

役目を終えたとき

だと思います。

 

どんなにつらい別れでも、

病気でも、事故でも、災害でも、

 

亡くなった人は、役目を終えた人だ、と思うのです。

 

だから、ありがとう、って言えばいいのかな、と僕は思います。

 

難病の女の子の話

以前、こんな話を聞きました。

ある難病の、女の子の話。

 

その子は、今の医学ではどうしようもない病気でした。

両親は、いつも泣いています。

「こんな体に産んで、ごめんね」と言ったそうです。何度も何度も。

 

しかしその子は笑って、言います。

「お母さんとお父さんのもとに生まれてきて、幸せだよ」と。

 

 

その子は、生まれてくる前の、ある記憶について話しました。

 

その子が言うには、人はみんな、生まれてくる前に、

ある「才能」を1つ、選んで生まれてくるそうです。

いろいろな才能がある中で、その子は、「不治の病をもって生まれる」という才能が、目につきました。

 

「これは何?」

神様のような人に聞くと、こう説明されました。

 

この才能は、不治の病をもって生まれる才能だよ。

この才能を選ぶには、「勇気」がいるんだ。みんなこの才能は選びたくないからね。

でも、誰かがもらわなきゃいけない。

あなたにはその「勇気」がある?

 

そして、その子は「誰かがもらわなきゃいけないのなら、私がもらうよ」

 

そういって、両親のもとに生まれてきた、というのです。

「だから、お父さんお母さん、泣かないで。」

女の子はこういいました。

その女の子は、10代で亡くなりました。

人は、生まれてきた時点で、ある1つの役目を終えているのかもしれません。

 

私たちができることは

いかがでしたか。

死について考えると、結局今の自分にできることは、

「今を一生懸命生きること」だと改めて思います。

この命を、どう使おうか。

書いていて僕自身も、身の引き締まる思いです。

 

 

今日も、平等な時間が与えられている1日に感謝。

長くなってしまいましたが、読んでくださって、ありがとうございます。

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