一生つなわたり

遊びと学びの連続、一生つなわたりで生きるまこっちゃんのブログ

憎しみや怒りや呪いや反感の念って 結局すべて、自己責任にしていないだけ。

https://www.instagram.com/p/BdzsA_RFN5y/

こんばんは。

今日の東京エルダーワーク。最高だった。

いろんなギフトをいただいた。ありがとう宇宙。

 

さて、100日行49日目です。

今日の内容は、

「あなたが常に幸福であるために」

 

 

ピンときた内容引用

憎しみや怒りや呪いや反感の念を起こした時、

神の救いの霊波に波長が合わなくなるのである。

あなたの調和した心は常に神様の愛念と波長が合うことになるから、

ただ”善”のみ、”幸福”のみがあなたの人生には来るのである。

想念は創造る力である。

 

憎しみや怒りや呪いや反感の念って

結局すべて、自己責任にしていないだけ、ともいえる。

 

なんでも自己責任にして、受け入れればいい。

 

今日のワークでも面白い体感があった。

 

まず、自分自身で、何かを拒否してみる。

例えば、背がもっと高ければいいのに。低く生まれてきていやだ、とか、

いったん思ってみる。そうすると、

頭に重しが乗っているような体感が得られる。

 

これって、なにかコンプレックスを抱えていたり、

なにかを受け入れられていない状態だよね。

 

重しみたいな体感は、

頭痛や肩こりなどを生み出す。

 

一方で、

「全部OK!ありがとう」

みたいに思ってみるとどうなるか。

 

重しは一瞬で消える。

 

こんな例で存在しているのが、病気だとしたら

結局自分と向き合ったり、無責任から離れたり、魂の学びをすすめれば

すべて消えることになる。

 

無責任から、有責へ。

個益から、公益へ。

その結果、

調和し善と幸福がくる。

 

すべて自己責任は、

実は超自由でたのしい。

 

誰かのせいにすると、それは自分にはどうにもできない問題となるが、

自分のせいにしちゃえば、自分なりのアプローチによって進める。

たとえ少しずつでも

確実に進める。

 

 

この話と関連して、

今日は、食べるという事の意味を考えた。

 

食べれば食べるほど、

宇宙的な役割は増える。

食べれば食べるほど、その命の分の責任が発生する

という仮説。

たぶん、そうなのだろう。

 

本来の食は、

有責の意識を人類に与えてくれるものなのかもしれない。

 

自分で育てた鶏や、豚や、牛を

さばいて食べるときを想像してみると

あいつの分も、生きよう

って自然になるよね。

 

これが有責なんだと思う。

 

有責人類に一歩近づいた1日でした。

 

今日も、ありがとう。

いつも、ありがとう。

 

まこっちゃん