時間に期待する愛をもとう。一切の消極的なものを否定する
こんばんは。
今日はある人に対して、
無視できない違和感があった。
肚の感覚に素直に、紛争をおこした。
僕自身の伝え方、気を付けていこうと思った。
慈しみを全てに向けようって思った。
次の機会は
感情にとらわれず、
諭すようにおだやかに、
伝えてみようと思う。
仲間のおかげもあり、
今回のストーリーは、落ち着いた。
伝えるのは、むずかしい。
だけど、それもこの世界からのギフト。
一番伝えたかったこと、大切だと思ったことは、
伝わらなかったけれど
きっかけにはなったと思う。
いろんな人がいる。
いろんな考えがある。
いろんな想いがある。
時間に期待する愛をもとう。
ついつい焦ってしまうけれど、
いつか受けとれる日が来ると、信じよう。
今日撒かれた種が、実をむすぶ日が
必ず来ることを。
さて、100日行17日目です。
今日の内容は
「一切の消極的なものを否定せよ」
ピンときた内容引用
一瞬一秒といえども、消極的な悲観的な想念を心にもってはならないのである。
それは実在(実相)とは調和しない想念であって、
実在の完全な相(すがた)を、たとえば、こうこうと輝く円満な満月の姿を、暗雲をつくってそれをおおいかくしてしまうのと同じ結果となるのである。この世界には、真に悲観すべき何事も存在しないのである。
"悪"も"不幸"も、"病気"も、"不景気"も、それは本来の相(すがた)ではなく、唯、それは"迷い"の念が仮につくった妄想に過ぎないのであるから、断々乎として否定し去れば消えてしまうのである。
感情にとらわらているとき、
というのは、
迷いの念によって、
幻想の"悪"を、つくってしまっているのだろう。
感情の奥には、
固定概念が必ずある。
「こっちが正しい」
「こうあるべきだ」
という、思い込み。
それを見つける。
見つけた上で、
思い込みを手放す。
そのために、感情はいつもメッセージをくれる。
そういう視点にたてば、
感情にとらわれる、ことはなくなる。
感情は、エネルギーだ。
いいもわるいも、強い感情は、素晴らしい。
怒りも悔しさも、時として、
大きく進む要素となりうる。
ただ、
とらわれるのは、結構しんどい。
おだやかに、
慈しみをもって、
いかしてゆこう。
今日も、ありがとう。
いつも、ありがとう。
まこっちゃん