自分の奥からわいてくるナニカ。その感覚に100%素直になれたら…
こんばんは。今日はいろんな情報が舞い込んでて、
超ありがたい反面、ちょっと頭使いすぎた。疲れました。笑
今日は100日行、15日目です。
毎日の習慣は、心を整えてくれる。
と、実感しています。100日行、についてはこちら。おすすめです。
今日の内容は
「多いなる計画は魅力を増す」
ピンときた内容引用
どんな大きな希望でも、ハッキリその計画を具体的に描くことができるならば、それを祈り求めて差し支えはないのである。
大なる計画ほど魅力があり、人々を引きつけ、多くの協力者を得ることができるであろう。
実行のヒントが心に思い浮かんで来たならば、それがどんな小事からでも躊躇なく実行しなければならない。
階段を昇るには下の段から一段々々昇って行かなければならないのであって、それが低い階段であるからとて、それを実行することを怠っていると、遂に目的とする最高所に昇ることができないのである。
あなたの望みは何ですか?
小さかったらだめとか、大きかったらいいとか、そういう話ではない。
望みは、大きさにかかわらず大切。
大切にする前提で、小さい理由が、
「どうせ無理なんじゃないか」
とか、
「できるわけないんじゃないか」
とかだったら、もったいない。
自分の感覚を大事にしていれば、自然に大きくなっていくんじゃないかな。
どんなに大きな希望でも、結局大切なのは、具体的に描くこと。
具体的に描くうえで大事になることの一つは、五感それぞれを使うこと。
「実行のヒントが心に浮かぶ」
という現象が、最近気になっています。
人は誰もが、小さな感覚のようなもので、正解がわかるのではないか、
という仮説を立てています。
例えば何かを選ぶとき。
Aのほうがいいとわかっていながら、
それがめんどくさかったり、やりたくなかったり、
いろいろと理由を作って正当化して、Bを選んでしまう。
そしてBを選んでしまったという、罪悪感的なものがわかる。
その「わかる」という感覚は、頭で考えた結果ではない。
自分の奥からわいてくるナニカ。
その感覚に100%素直になれたときに、命のままに生き、
後悔なく死ねるのではないかと思います。
むずかしいけど、
ひとつずつ、やっていこう。
低い階段を怠ることについていえば、
大きなことと、小さなこと。
どっちが大事なのでしょうか。
大きなことのほうが大事と思いがちだけど、
実は小さなことのほうが大事だと考えています。
なぜなら、
大きなことは忘れないし、勝手に大事にするし、生かしやすい。
逆に小さなことは、ついついないがしろにしてしまうし、
忘れてしまう。よほど意識を向けて取り組まなければ、いかしにくい。
しかも、大きな変化、劇的なものは、いっさいないわけではないけれど、
しょっちゅうあるわけでもない。
小さな小さな積み重ねを重ねた結果、
振り返ってみれば大きく変化した場所にいる自分に気づく。
こういうものなのかもしれません。
崖を飛び越えるのは難しいけど、
一段一段確実に進むことはできる。
できないことをやろうとするのは苦しい、
だってできないんだから。
どんな小さなことでもできることからやればいい。
と同時に、できないことも超えてやる!ってエネルギーも大切。
なにがなんでもやってやる!そして進む。
そうやっていきながら、
常に変化する大いなる計画を企て続けていきたいと、思います。
今日も、ありがとう。
いつも、ありがとう。
まこっちゃん