”天”とは縦横厚みの三次元世界を超越する、内在の世界である
おはようございます。
今日は就寝22:32で、0:53に目が覚めた。さすがに早すぎると思い二度寝、
1:52に目が覚める。今後、2時前に起きることを習慣化してみよう、そうしよう。
100日行4日目、今日の内容は
「”天”とは超越的内在の世界である」
ピンときた内容引用
「神の心動きいでてコトバとなれば万物成る」
生命も智慧も心もすべて霊的なものであり、物質ではないのである。
この物質でないところの世界を”天”と謂うのである。
(この世界は)今此処に「超越的に内在」するのである。
それはあたかも「種子の中にある花の原型」のように”内在”するが、種子を薄片に切って顕微鏡で覗いてみても、その花の原型は見えないのと同じように、それは縦横厚みの世界にはないのであって、縦横厚みの三次元世界を超越するのである。これを超越的内在の世界というのである。
自己の想念をもって世界を造った=神
想念=生命の振動、智慧(心)の動き。
それをコトバというらしい。
コトバとの表現は、今の一般的な言葉が、ここでいうコトバと、
あまりにも離れてしまっているからなのかもしれない。
命のままに生き、心から出てくる言葉を、コトバといっているのだろうか。
だとすればそういうコトバなら、万物成るのもうなずける。
そうでない言葉、
他者の期待とか、同調圧力とか、恐怖感とか、
屁理屈・うその自分を正当化するものとか、
そういう言葉なら、なんにもならないよね。
物質ではないところの世界って、
言い換えれば目に見えない世界?
これについていえば、先日、
目に見える世界、五感で体感できる現実の小ささを知った。
この世界を砂漠に例えるなら、きっと砂粒一つくらい。
そしてこの世界は、今ここに存在している。
今此処は、わかるきがする。
過去や未来といった時間の概念も、
わざわざ限定したこの世界で存在しているだけだから。
「超越的に内在」って何だろう。
と思ったら、そのあとの文章がその答えでした。笑
内在するということは、自分の内にあるということ。
外に答えを求めても、あるのはヒントのみ。
なぜなら、状況も前提も人それぞれだから。
ある答えは、「誰かの答え」でしかない。
それが、「自分の答え」となるかどうかは、誰にもわからない。
「自分の答え」は、自分の内から。
そして、自分で選択し決断するしかない。
その決断だって、ただしいかどうかなんてわからない。
やってみて、進んでいく中で、後ろを振り返ったら
「ああ、そうだったんだな」ってなんとなくわかるもの、だと思います。
内在すると、いわれても。
「やりたことや、好きなことがわからない」
って人、結構いますよね。
僕もそうでした、以前。
ある方に教えていただいた、この答えをご紹介しますね。
本当は、確かに存在しているのです。やりたいこと。好きなこと。
しかし今の日々の中で、ちょっとつれちゃって、
見えなくなっているだけのこと、なんだって。
小さなことから、好き って感覚を大事にする。
リラックスして過ごしてみる。
過去と未来を放し今を感じる。
そのほか、繋がりそうな内容を以前書いたのを思い出したので、
ここからちょこっと紹介。
112255horumonryugi.hatenablog.jp
命のエネルギーの循環を促す、8つのライフスタイル
- 瞑想
- 祈り
- ライトダイエット(食事を軽くする)
- 運動をする(内蔵の動きが減るから)
- 聖なる音楽やマントラとともにすごす
- 人に親切にする
- 大自然のなかで過ごす
- マインドマスタリー(自分の感情や意識を、自分で制御する)↑怒っても良い。怒りにとらわれると、めんどくさい
つまり、リラックスして、楽しく過ごす
ぜひ日常に取り入れてみてくださいね。
縦横厚みの三次元世界を超越する。
点からは線を感じられない。
平面からは高さを感じられない。
縦横厚みからは、「種子の中にある花の原型」が、
時間やその他いろいろな要素と共に”成長”して”変化”することは感じられない。
と、いうことだろうか。
概念の外は、おそらく無限に存在する。
三次元を超越する世界が自分に内在しているのって、面白い。
これは最近気になっている、
五感で感じることができる感覚の外を感じる能力
(念覚と言ったりもするらしい)とも通ずることだと思う。
融ちゃんの身体ワークも、眠ってしまった感覚を
(もしくは、便利快適の結果退化した感覚を)取り戻し生かすもの。
今日は東北エルダー身体ワーク。
何が起きるのか。僕自身がわくわくです。
今日いらっしゃる方は、よろしくお願いします!
飛び入り参加も歓迎♪
112255horumonryugi.hatenablog.jp
まこっちゃん