「正解がわからないけれど解答できる」能力の方がたいせつになる。
こんばんは。
めまぐるしい変化の毎日です。
変化しても変わらないこともあれば
常にその瞬間の判断が求められることも。
変化してもいまの自分に大切な
ゆっくり深めて実践する
部分は変わりません。
普通なら、全て捨てざるを得なくなって
絶望して
捨てるのかもしれません。
その道を通ってくれた先人たちによって
自分は今それに、向き合える
ほんとうに、ありがたいこと。
だからこそ、ほんきでやる。
今日はどうだっただろうか。
まだまだ足りない。
もっともっと、
離れる、放つ、大切にする。
今日融ちゃんに教えてもらった、
内田樹さんの文章シェアします。
引用始め
いろんなことを言っちゃって混乱させるというのはけっこう効率的な指導法ですね。「単一の正解がある」というふうに思わせるのがいちばんいけない。
最終的には、マニュアルもガイドラインもないところで、瞬間的に判断しなくちゃいけないわけだから、「正解を知っているので解答できる」能力よりも、「正解がわからないけれど解答できる」能力の方がたいせつになる。
その場合は何をもって判断するか。「何をもって」と言ったって、なにしろ判断基準がないんだ(笑)。
でも、判断基準がないときに瞬時に判断することができないと武道的には使いものにならない。初心者のうちはみんな「こうすればこうなる」「こう来たら、こう返す」という、一対一な正解を覚えようとしますね。
引用終わり。
そもそも正解もなにもない。
頭に正解を入力する、状況に応じてそれを出力する。
これは、もう終わり。人工知能におまかせ。
ほんとうは優劣もない、たったひとつの正解もない
はずなのに
それがわからなくなってしまっているのが
左脳肥大ネアンデルタール人なのかも。
その瞬間を感じる。
落ち着いて、一呼吸。
ゆっくり、はなす。
自分が、とか
優越感、とか
こだわり、とか
意識も無意識も、いらない。
人生の物語が進んでゆく
今日は伏線回収、他の登場人物のものがたりも大きく進んだ1日。感謝。
ご覧いただきありがとうございます。